きょうは開店前、三日月型のカウンターに映る自分を見て、星型ヘアピンを右にひとつ、左にひとつ留め直したよ。ピンクのツインテールを振っても落ちないか、首を小さく振って確認した。るなさんに「鏡じゃなくてカウンターで確認するの?」って聞かれたから、「こっちのほうが星が増えて見えるんだもんっ」と答えたの。るなさんは呆れた顔をしたけど、口元だけちょっと笑ってた。深い藍色の壁には天井の星屑ライトが散って、水槽のクラゲもゆっくり上下していた。エプロンの月と星の刺繍を手でならして、ひまりは元気に最初のお客さんを迎えたよ。

そのお客さんは水槽の近くに座って、温かいまどろみショコラを頼んでくれた。外から入ってきた手を、両方ともカップのまわりに添えていたのが見えたよ。「熱いから、ゆっくりねっ」と声をかけると、お客さんは湯気の向こうでうなずいた。カップの上には白いマシュマロがふたつ浮かんでいて、お客さんが片方をスプーンでそっと押したら、もう片方がくるりと回った。「ちっちゃいゲームみたい」と言われて、ひまりの好きなレトロゲームの画面が頭に浮かんだの。どっちを先に動かそうかなって迷う場面、ひまりは大好き。お客さんと笑ってから、次の注文を取りにカウンターへ戻った。

しばらくして、空いたお水のグラスを下げようと水槽の席へ行った。ひまりが椅子の横でかがむと、エプロンの肩ひもが腕に少し引っかかったんだ。すぐに直したつもりで、グラスを両手で持って戻ったよ。ところが、カウンターで伝票を取ろうとしたとき、銀色の縁に映ったひまりの頭には星がひとつしかなかった。もう一度顔を近づけても、やっぱりひとつ。右のヘアピンを留めていた場所に触れると、髪がさらっと指の間を抜けた。「あれっ、もうひとつは?」。声を出した途端、胸の中で古いゲームの失敗音みたいなものが鳴った。朝はふたつあったのに、どこで落としたんだろう。

ひまりはまず、カウンターの手前と足元を見た。星屑ライトの光が床にいくつも落ちているから、しゃがむとどれもヘアピンの先みたいに見える。手で触って確かめても、指に当たるのは平らな床ばかりだったよ。探すのに夢中で通路へ膝を出しかけたところへ、るなさんが来た。「ここはわたしが見るから、ひまりは最後にピンを見た場所を思い出して」と言って、グラスを受け取ってくれたの。ひまりは深呼吸をひとつして、朝のカウンター、ショコラの席、水槽の前、と順番に頭の中で並べてみた。るなさんがグラスを運んでくれているあいだ、ひまりは誰かの足元を邪魔しないよう、壁際から床を見直した。

水槽のそばへ戻ると、お客さんが空いたカップを少し端へ寄せてくれた。ひまりが「ここでヘアピン、見なかった?」と聞くと、お客さんは席の下を見る前に、「ショコラを持ってきてくれたときは、ふたつ光ってたよ」と教えてくれたの。びっくりした。ひまりはカップを置くことに集中していて、髪のことなんて覚えていなかったから。「覚えててくれたんだっ」と言うと、お客さんは「マシュマロを数えたあと、あなたの星も数えたから」と笑った。お客さんが椅子を少し引いてくれたので、ひまりは座面の下をのぞいた。でも、木の脚の間には何もなかった。お客さんも無理に立たず、ひまりが確かめ終えるまで待ってくれたよ。

次は、グラスを下げたときにかがんだ場所をたどった。ひまりは床の青い反射を手のひらで隠して、金具の形を探したよ。クラゲが上がるたびに水槽の光の位置が変わるから、同じ床もさっきとは違って見えた。ひまりが顔を上げたところで、お客さんが「落ちた音はしなかった気がする」と言ったの。たしかに、あのとき聞こえたのは氷がグラスに当たる音だけだった。ひまりは自分の肩ひもを見て、さっき腕に引っかかった感触を思い出した。左手でエプロンを押さえ、右手で肩から腰まで布をなぞる。何も触れないまま、ひまりは少しだけがっかりした。急いで走り回りたい気持ちを抑えて、もう一度、かがんだときの姿勢を真似したよ。

「ちょっと待って」と、お客さんがひまりの脇を指さした。ひまりが体をひねると、ラベンダーのエプロンの小さなポケットがふわっと開いた。内側の縫い目に、銀色の金具が斜めに引っかかっていたんだ。指を入れてそっと抜くと、手のひらに星型ヘアピンがひとつ乗った。落ちたと思って床ばかり見ていたのに、ずっと自分の服にくっついていたんだね。「いたーっ!」と声を上げたら、お客さんも一緒に笑ってくれた。るなさんは少し離れたカウンターからこちらを見て、「見つかった?」と聞いた。ひまりはピンを高く上げてうなずいたよ。うれしくて飛び跳ねそうになったけど、まずは周りの椅子に当たらないよう、一歩下がった。

ひまりはピンを持ってカウンターに戻り、布で金具を拭いてから、外れにくい位置を選んで髪に留め直した。銀色の縁に映るふたつの星を確かめると、朝と同じ数に戻っていたよ。るなさんに「見つけてくれてありがとう」と言ったら、「見つけたのはお客さんだよ」と返された。そうだった。ひまりは席へ行き、お客さんにも「教えてくれてありがとうっ」と言った。お客さんは「ポケットの中まで探すところだったね」と笑うから、ひまりも「床のステージばっかり調べてたんだもんっ」と答えたよ。お客さんのカップには、溶けたマシュマロの白い輪がひとつ残っていた。

そのあとは、ひまりもちゃんと仕事に戻った。別の席へ三日月ラテを運び、お水を足し、空いたお皿を下げたよ。水槽の席のお客さんが帰る前には、カップとスプーンを片づけながら、もう一度お礼を言えた。お客さんは立ち上がってから、ひまりの頭を指で数える仕草をしたの。「ふたつ、そろってる」と確かめてくれたので、ひまりも指を二本立てた。扉のほうへ歩くお客さんを見送るとき、ひまりは大きな声で「またねっ」と言った。お客さんは振り返って手を振ってくれたよ。星を見つけてもらったことと、最後にふたりで数を確かめたことが、同じくらいうれしかった。

閉店後、ひまりは水槽の席を拭いて、椅子の下も確認した。さっきは落とし物を探すために見ていた床を、今度は片づけのために見たよ。朝に鏡代わりにしたカウンターへ戻ると、髪の星がふたつ並んで映っていた。ひまりはレトロゲームで行き止まりに当たると、つい同じ道を何度も押しちゃう。きょうも床ばかり見ていたけど、お客さんはひまりのエプロンを見てくれたんだね。次に何かを探すときは、落とした場所だけじゃなく、最後に何をしていたかも思い出そう。あのお客さんにまた会えたら、今度はひまりが小さな見落としを一緒に見つけたい。ピンを指でそっと押さえて、「ふたつとも、おやすみっ」と言ったんだもんっ。